2007年10月17日水曜日

中川一政美術館


 中川一政美術館に行って来ました。中川画伯(文化勲章受賞者)は、1949年(昭和24年)真鶴町にアトリエを構え、「福浦」や箱根「駒ケ岳」などの制作に励んだ画家として知られています。
 箱根「駒ケ岳」については、80歳代に描いたものと、90歳代に描いたものの2題が展示されていました。裾広がりの優美な富士山と比較すると、によっきりとした形の駒ケ岳が、大観山側から芦ノ湖を隔てて描かれています。この光景に美を見出されたのでしょう。湖畔の人家も描かれ、何処と無く生活の匂いのする山として表現されています。(駒ケ岳には良くスケートに行きました。)
 「福浦」は一層、漁村の生活の匂いが感じられます。いずれも水の辺(海の辺)、山の辺の構成になっています。最初に認められた岸田劉生の画風に何処と無く似ているところが有ります。
 他に、薔薇を描いた作品が多く展示されています。余程、薔薇が好きだったのでしょう。信楽焼きの茶碗も見事でした。
 敷地に沿って建てられたと言われる、横に長い美術館の建物も素晴らしかった。コンクリート打ちっ放しのこの建物は周りの景観とも調和していた。近くには原生林も残っており、潮騒の心地良い景勝地・三ッ石もあります。海岸道路には魚料理店や魚加工品販売店も多く見られます。あなたも足を運んでみては如何ですか?
⇒中川一政美術館








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2007年10月16日火曜日

伊藤博文 と 本間俊平


 初代内閣総理大臣・伊藤博文は、小田原に永住するつもりで、1890年(明治23年)別邸・滄浪閣を建てた。その後、貴族院議長に就任、第2次伊藤内閣を組閣、日清戦争もあるなど、静観の日々を送ることができなくなった。
 1893年(明治26年)に、伊藤は民法改正に着手する。起草委員に選ばれた穂積陳重、富井雅章、梅謙次郎の3名の法学博士は、1894年(明治27年)の5月から秋まで滄浪閣の一室に閉じこもり、民法典原案の立案執筆を行った。この地は「民法発祥の地」とされることになった。
 しかし、伊藤は民法施行を待たずに、1897年(明治30年)、滄浪閣の名と共に大磯町へ移っていった。その後、建物は養生館(リゾート旅館)として再開されることになったが、小田原大海嘯、関東大震災で壊滅した。写真は、その跡地に建つ伊藤の胸像と滄浪閣跡の碑です。 -Wikipedia-
 伊藤が朝鮮府総督として是非欲しがった人物がいます。それが「秋吉の聖人」「大理石の恩人」と呼ばれた本間俊平です。
 明治35年、国会議事堂建設の内装に使う大理石の調査に秋吉の地に赴いた本間は、せがまれて官庁をやめ長門大理石採掘所を開きます。
 彼はこの地で出獄人や不良者、世間から見放された若者達を雇い、彼らを一人前の人として自立できるように苦楽を共にする。しかし当時の村社会や、既存宗教の人達に本間氏のキリスト教的な行動は理解されず、いやがらせや妨害に合う。あるとき苦労の末採掘した大理石を無意味に破壊され、彼は失意のうちに神へ祈りを捧げた。…本間俊平 
 伊藤も目の付け所が良い。もし本間が伊藤の要請を受けて朝鮮府総督になっていたとしたら、歴史の教科書に名前が載ったかも知れません。後年、伊藤は朝鮮で暗殺されましたから、断って正解でした。現在でも出獄人を受け入れる企業は無いでしょう。新渡戸稲造、内村鑑三、新島譲と同様に歴史の教科書に出て来て然るべき名前だと思います。  

2007年10月15日月曜日

旧・福沢小学校


 写真は旧・福沢小学校です。福沢と言いますと、そうですね、福沢諭吉ですね。福沢諭吉と親交のあった東京・三田の臨済宗龍源寺の住職大島仁宗和尚が、明治9年(1876年)65歳で隠居されるのを機に、現・南足柄千津島の天福寺に住職として移住することになりました。明治22年の六か村合併の際、この地を度々訪れる福沢諭吉翁に因んで、福沢村と名付けられました。そこから由来しています。-市史の散歩道234 いにしえ探訪ー
 福沢諭吉先生と言えば、慶応義塾の創立者で、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり。…されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぷと学ばざるとによって出来るものなり。」と実学(読み書き算盤のほか、地理、経済、物理など、実生活に直接結びつく学問)を勧めた人物として著名です。
 高校の社会科の授業の時、M先生が「天は自分の上に自分を作らず、自分の下に自分を作らず。」と仰った。教室中、笑いに包まれました。私はこれを「自分を支配するの者は自分である。自分を自分でコントロールすることが大切である。」と解釈し、落ち込んだ時の励ましとしています。
尚、写真の旧・福沢小学校は、「第61回全国植樹祭」(平成22年春)の会場に決まった南足柄市丸太の森地区に一部移築されたものです。

2007年10月14日日曜日

今日一日に生きる。


 ヒルトン小田原で写真の光景を眺めながら、コーヒーとケーキで一服しました。平日でしたが、帰りの駅までのマイクロバスは女性客でいっぱいでした。ヒルトンさんの集客能力はさすが!と感心しましたが、この方達のパートナーは今頃、会社で勤勉を強いられているのでは?と要らぬ想像もしました。
 家族の為に頑張っていらっしゃる方、仕事が無く落ち込んでいる方、仕事で悩んでおられる方で、今日の仕事が巧くいきさえすれば良いと思われている方も多いのではないでしょうか?デル・カーネギー(米国・市井の教育家)は「道は開ける」の中で、「今日一日に生きる」ことを説いています。この書籍も35年このかた、新刊書の近くで販売されています。
 「朝、今日何を行なうかを決め実行する。」昨日を締め出し、明日を締め出し、今日一日を生きると言うことです。今日一日だけ生きることは、そんなに難しい事ではない。聖書・マタイによる福音書6章34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」とあります。
 今でも私は、結構こうやっています。1年後、3年後、5年後になるにつれ、計画は曖昧模糊となります。今日一日なら予測はつき易い。ひよっとして、これが全てかも知れません。一日一日の積み重ねな訳なので。 

2007年10月13日土曜日

調味梅干


 最近、近所に地元の食品スーパがオープンしました。開店前日、店の前を通ると会員を募集していました。入会金100円で、買い物バッグとポイント進呈券をもらえます。入会してよく見ると、ポイント券利用日が、開店から1週間後になっています。しっかりしています。
 開店2日目に行くと、大きなりんごが3個で250円でした。これで元を取らせてもらいました。当然のことのように、梅干売り場に目が行きます。弊店と取引のあるT商事さんが、定番をかなり押さえていました。山積み特売はN農園の1㎏980円の、「南高梅・はちみつ梅干」「南高梅・減塩梅干」でした。マーケティングの巧さを感じます。
 現在は「調味梅干」が主流になっています。梅干と言うよりはお菓子に近い「はちみつ梅干」は新用途発見ですし、「減塩梅干」は健康志向にかなっています。
「調味梅干は1度減塩しますので、保存剤や万人向きの化学調味料が入っていますよ。1日1粒食べるのなら塩分2gほどで、10g以内に収まりますよ。お酢自体は酸っぱいですが、お寿司にすると美味しいですよ。梅干も同様で、ご飯と共に召し上がっていただくと美味しいですよ。あなたの家の冷蔵庫の中は既に満杯ではありませんか?冷蔵庫の外で保管できますよ。」と訴えている自分がシーラカンスに思えることがあります。シーラカンスは保護されているからいいな!!ため息が出ます。
 いつも利用しているスーパーも、ポイントカード会員の募集を始めました。

2007年10月12日金曜日

もしもの時に備えます。


非常用持ち出し品
・リュックサック・当面の飲料水と食料・ナイフと缶切り・医療品・厚底の靴・ヘルメットや防災頭巾・雨具と下着・軍手・寝袋・携帯ラジオ・懐中電灯・予備電池・ロープ・マッチとライター・使い捨てカイロ・マスク・ホイッスル・筆記用具・小銭と現金・預金通帳類・認めの印鑑・健康保険証・連絡カード・身分証明書
常備するもの
・飲料水(最低1人1日につき3ℓ)・食料(米や餅などのほか、缶詰やレトルト食品等)・燃料(卓上コンロ、固形燃料)・携帯ラジオ・懐中電灯やろうそく等の照明器具・工具(鋸、バール、ロープ等)・自転車やショッピングカートなどの搬送用具
     神奈川県 県民のまもり 第276号より

 あなたも出来る所から準備されたら如何ですか?登山用備品と兼用できる品物も多い。写真は、よくサイクリングに出かける市中の公園です。 
   ・ くたびれて 身を中に置く 蝉しぐれ

2007年10月11日木曜日

国家公務員

 現在、我が国の債務残高は834兆円あるとされているが、菊池英博氏(日本金融財政研究所長)によると、
2006年末の国の債務のうち、外貨準備が 100兆円、財政投融資 170兆円、社会保障基金 260兆円。これらはどれも裏側に資産のあるものだ。つまり、合計して 530兆円もの金融資産を持っているという。
 これを受けて、森永卓郎氏(経済学者)は、
それを差し引けば、純粋な債務は 302兆円(米国債の金利分が引かれている)。これは GDPの6割にすぎず、西欧諸国と比べて高いわけではない。こうしたことを考え合わせると、やはり財政危機は脱したと考えるのが適当だろう。財務省がこの事実を隠し、「債務残高は834兆円」としているのは、消費税を10%に上げたいが為。
 これが事実だとすれば、なんと財務省(の職員)は優秀でシタタカなのでしょう。債務の 302兆円について誰も責任を取るわけでもなく、情報開示も意のままで、世のエリートとして君臨している訳なので。彼らが仕える国家とは何なのでしょう?  米国では政権の交代とともに、高級官僚も交代するとのこと。日本では人事権は別の流れになっています。このことが公務員の天下りや官製談合の問題の温床になってはいまいか?